scrap and build の国

 

先日の西野さんと旺季さんのトークショーで、西野さんが京都駅について話してたんですよ。

歴史のある街に、あの外観は何なんだって感じのことを、最初は思ったそうなんです。

ヨーロッパの都市では、外観に関して規制があったりするので、京都もそうすればよかったのにって感じのことを思ったそうなんですね。

で、それを西野さんが友人に話したら、西野さんの友人は「あれこそ日本人でしょ?」って感じのことを答えたらしいんですよ。

どーゆうことかと言うと、日本というか日本人って「今、これが流行りだ!」ってのをまっさきに取り入れてく人種じゃない?って。歴史と伝統も、もちろんあるけど、今旬なものを取り入れて発展してきた国だし人種だよねって感じの話だったのですよ。

 

これ聞いて思い出したんですけど、ヨーロッパの町並みは外観に関してけっこう厳しい。ドアの色一つ塗りなおすのも市とかに申請しなきゃならないって話を聞いたことがある。

なもんで、建て直しなどになると、そりゃー大変みたいよ。で、建築家さんたちはもっと大変みたい。特に若手の人たちは、ほんと活躍する場が少ないってか無いみたいです。既存の建築の建て直しなんかになると、すでに有名な事務所や建築家とも案件の取り合いになるだろうし、たぶんそこで勝ち抜けることは、よっぽどのことがない限り無いだろう。

で、ヨーロッパの若手建築家の人たちの活躍の場として、アジア圏はわりと重要ポイントみたいです。特に日本はよっぽど奇抜な建物でなければ、わりと建築されてるしね。

日本って、若手の受け皿としても機能してるんじゃないかなー。

のちに有名になった建築家の初期の建物が日本に!…なんてことはよくありそうだけど、でもその建築家が有名になった頃には、その建物すら壊されて新しい若手建築家がデザインした建物が建てられてるんだろうね。

 

 

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意外と「天の啓示」なんてスタイルじゃないかもよ?

 

フランス語版ウィキペディアAubert d’Avranches のページより拝借

 

最近、上とか宇宙とか超意識とかから”受け取ること”について調べたり考えてるのですが、↑ こんな感じで「ああ!天からの啓示だ!」と分かりやすくやってくることって、わりと稀かもねーと思う。

Happy ちゃんがよくブログで言ってるように「ふと」とかそんな感じなのかも。

もしくは「あ、コレやな」くらいの感じ。

あんまりにもナチュラルすぎて気がつきにくいのかもしれない、と思うのよ。

 

例えばソウルメイト(主に恋愛の意味で)も、たくさん過去生でも関わってきてるから出会った瞬間「あ!この人だわ!」みたいな感じは持ちにくいって話を聞いたりします。それよりかは、「なんだか懐かしい」とか「この人、なんか知ってる…」って感じを抱きやすいそうな。

過去生から持ち越してるテーマだったり、設定してきてることに関しての情報ってのは、「(過去生も含めて)今まであんまりにもよく見かけてるから、今回(または今生)見つけても衝撃って感じではない」のかもしれないなーと思った次第。

 

 

ちなみに、上の画像はモン・サン・ミッシェルのオベール司教と大天使ミカエルのレリーフです。

アヴランシュの司教オベールさんは夢でミカエルさんから「あの岩山に聖堂立ててネ」って言われたらしいけど、最初は悪夢だと思って信じてなかったらしい。業を煮やしたミカエルさんがオベールさんの夢に3回目に出てきたときに、「これでも信じねーのか!おりゃ」とおでこにデコピンしてったそうです。その逸話が上の画像のレリーフどす。

…って話があるそうだよ。一部創ってるので、正確な話が知りたい方はウィキペディア先生を見に行ってください。

モン・サン=ミシェル – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/モン・サン=ミシェル

 

 

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人生における意識のプロセス

 

小西温子さんの「生命の樹――受け取りの法則」の中で、人生のプロセスの中で「どんな意識の状態にあるか」を3段階で説明されてる文があったので紹介。

ここを知ってると、『あの人はアレをやってこうなったのに、同じようにわたしもやってみたけど同じようにはならないのはナゼ?』ってのが分かるかもです。

 

 

0から1の段階

自分のことをまったく分かっていない。

暗闇の中にいるような状態。

心も重たく生き辛さを感じる。

無い、足りない、欠けている意識が強い。

人の役に立ちたいと思っても、人のことより自分のことで大変な状況になる。

〔解決方〕

感情の解放をする。

自分を癒す。

自分をみつめる。

外側に向かってる意識を、自分の内側へと戻していく

物事を始める動機を「自分のため」にして、自分を満たしていく。ここでいう「自分のため」は、自分さえよければいいとうことではなく、自立のためのもの

 

わたしも長らくこの段階に居たと思います。

まだこの段階に片足突っ込んでるかもしれない…と思うけど(笑)。

感情解放オススメー!って言ってるのも、この段階から出ていくのに有効だからです。

そだ、癒しにも段階がありまっせ。田中みっちさんが記事にしてました、参考にドゾ。

 

癒しにも段階があるんやで!人が言うことを。鵜呑みにしたら、あかん|愛も豊かさも使命も手に入れる!性愛セラピストマスタートレーナー田中みっち公式ブログ
http://ameblo.jp/micchi222/entry-12042227709.html

 

 

 

1から10の段階

0から1の段階を出て、自分の意識が立ち上がった状態。

一歩超えたはいいけど、先に進む道がまったく開かず、後にも戻れず先にも進めない状態で進んでいかなくてはいけない

自分ではコントロール不可の未知の可能性に向かって進んでいかなくてはいけない

潜在意識(の中でも比較的表層に近い部分)が必死に抵抗してくる

本気度を試されるようなことがおこる

〔解決方〕

自分を知ることに加えて、自分を自分で育てることが必要

自分との約束を守り、自信をつけていく

自分が自分の応援者になって、育てていく

意識を内側に向けて、自分の中に在るものをみつける

 

ここの段階に入ってる人が最近すごく増えてきてると思います。

わたしも片足突っ込んだと思いたい(笑)。

ここのプロセスを経験すると、次の高次の意識に目覚めていく。←って本に書いてあった

 

 

10から100の段階

ここのプロセスは、「10」が「100」にも「1000」にも「1万」にも「1億」にもなる天文学的飛躍を秘めた段階。

成長が進み、宇宙や自分とつながってる

自分にしかできないことで活躍してる人はこの段階にいる(もしくは、その状態の自分がもう見えてるような状態)

充分に満ちた、在るの意識

今に集中することができる

 

最近、この段階にきてる人がぽつぽつ出てきてるように感じます。

Happy ちゃんとか、はるちゃんとか。たぶん著者の小西さんもこの段階に来てると思う。あとよく知りませんw

ここが「王の意識」って呼ばれる段階。

 

 

…とまあ、意識の段階は3段階あるのですよ。

ひょっとしたら、それぞれの段階の中でも細かく段階があるかもしれないし、ないかもしれないw

それぞれの段階があるのに、スピリチュアルとか引き寄せって括りで一緒くたに語るのはちょっと乱暴だなーと思うのですよ。

ってことで、意識の段階でしたー。

 

 

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勝手にエネルギーを送りつけてみた

 

意外と楽しい♪(笑)

 

そもそも、お金困ったなーと思ってたんですよ。最初は。

で、偶然辿りつたこの記事に載ってたことをやってみたんですよ。

 

本当にお金に困った時の「祈りの技」 – 気功.info
http://kikou.info/page/cat2/cat9/638.php

 

 

エイブラハムの瞑想CDの中でも、「人の成功を心から喜ぶ」とかあったし。

 

ちょうど外に出てたので、道行く人とか喫煙所で見かけた人とかに勝手に送りつけてたんですよ。エネルギーを。あ、「本人が望むなら受け取れるように」ってif関数みたいな宣言を先に入れてますが。

 

 

最初は、スーツ着てる男性を見かけたら「仕事上手くいきますように」とか見た目で(勝手に)判断して送りつけてたんですが、そのうち『この人はこっちじゃなかろうか?』とか出てきて、何かの練習になったみたいです(笑)。

あと、やってると『この人はいけそう(送れそう)』って人と、『この人はちょっと難しそう』って感じがしてきたのですよ。思うに、「氣を張ってる人」ってのは難しい感じがします。バリア張ってるみたいな感じ? 緩んでる人はいけそうな感じがしたんですよねー(+本人が望むなら。ほら、if関数の宣言入れてるから)。

 

あれ? そうか。脳は主語(?)を気にしないから、人に言ってるんだけど自分に言ってることになるのか。

 

 

で、気が付いたんですが、一昨日のヒーリング(?)も、「あれ、わたしも受け取りたい」って人は、自分で宣言すれば受け取れると思うんですよ。だって、あれソース(源)からやってきたエネルギーみたいだし。

いろいろ調べた結果、みんなソースには繋がることができるのよ。ってか多分、みんな繋がってる。それを取り入れる(または受け取る)許可を出してるか出してないかの差だと思われます。

 

エネルギー送るのは、面白そうなので、しばらく自主トレしてみます(笑)。

 

 

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eating, smoking, drinking coffee

 

ここしばらくプチ断食状態になってるって話は日記に書いたのですが、それにより今まで食べ過ぎてたってことに気がついたんですが、それ以外にも気がついた話を。

 

ワタクシはタバコも吸うし、コーヒーもよく飲むんですよ。家に居てこの二つのどちらか(もしくは両方)を欲するときってのはなんだろうね?と思ったのよ。ある条件下に置かれるとこれらのどちらか(もしくは両方)が欲しくなるのではなかろうか?と。

前にみかんこさんがこんな記事を書かれてたんですよ。

 

刺激中毒になるときは、感じたくない感情から目をそむけているから。|ラブリーエンジェル♡みかんこのブログ
http://ameblo.jp/mi-kan-ko/entry-12244018793.html

 

じゃ、わたしがタバコかコーヒーを欲しくなる時ってどういう時だろう?と考えてみた(というか観察してみた)ら、「じれったいとか、もどかしいとき」だった。

こうやってブログの文章を書いてるときとかに、ぴったりくる言葉が思いつかないとかね。

「じれったい」「もどかしい」を感じるのを避けてたんだなーと。

 

 

ご飯に限らずお菓子とか何かを食べてしまうのも、「じっとしてる」のが嫌なんですよ。嫌と言うか、逃げだな。

それは英語の勉強や読書なんかもそうなんだけど、「本来感じるはずの何かを感じたくない」→「何かの作業や行動をしてしまう(ことによって、空間や時間を埋めている)」になってるんだろうな。うん。

 

 

これらの「逃げてること」の中身を「拒否」してるから、受け取れてないんじゃないのかねーと思い至った次第どす。

 

 

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