高村薫 「冷血」、読み終わった

2016-04-03

 

先に書いときますが、本のレビューとかではないです。読んでて思った、思い出したあれやこれやって話。

 

ようやく合田シリーズ最新作(と言っても単行本は2012年出版)の「冷血」読了。

たぶん、2012年にこの小説を読んでたとしても、当時の私の混乱状況ではちゃんと読めてたかどうか怪しいので今読んだのがタイミング的にもよかったのだろう。

あくまでも私の雑感だけど、福澤シリーズでいろいろチャレンジした後、それらを消化ないし昇華して戻ってきた合田って感じ。

 

ここ7年くらいろくに小説読んでないので、小説に対する私の脳の反応が過去に比べてちょっとヘンな気がする。というのも、過去の話で合田がどうだったのかさっぱり覚えてない。それは単に加齢によっていらん情報が削除されただけかもしれないけど。

それに合田が最初に出てきた「マークスの山」からもう19年も経ってて、その間に『書く方も精根尽き果てるけど、読む方もそうとう疲れるんだろうな』って感じのことをあとがきで書くような中山可穂さんの小説なんか読んでた時期があるので、あそこらへんでいろんなデータが脳内で削除されたと思われる。

平たく言うと、『合田ってこんな人だっけ?』。「太陽を曳く馬」と「冷血」の合田はつながるけど、「マークス」や「照柿」の合田と「冷血」の合田はあんまりつながらない。

 

で、話し戻して「冷血」。カポーティの「冷血」読んでないんで何とも言えない部分もあります。

でも「太陽を曳く馬」ほどの読み難さ(読み難いというのともちょっと違うかも?)はないし、でもいい意味で「照柿」ほどの熱もなく。

「冷血(下巻)」の帯に「人間存在の根源を問う、高村文学の最高峰!」ってあるけど、確かに高村さんの代表作として一押ししたい作品でした。

(でもやっぱり個人的には「太陽を曳く馬」の衝撃の方が大きかったけど。でも、あれは好みが極端に分かれると思うので一押しには出来ないなー。ちなみに、ワタクシ、高村さんの単行本の小説は「新リア王」と「四人組がいた」以外はすべて読んでます。内容を覚えてるかと聞かれると怪しいけど。「神の火」や「地を這う虫」あたりは特に記憶が怪しい。というかほとんど覚えてないw)

 

ワタクシ、小説やエッセイは一言一句読んでいく人ですが(なので、エッセイなどで誤字脱字も見つけやすい)、それって実は文字を追ってるだけでその文字の裏側にまで集中してる訳じゃないかもしれない!って私にとっては衝撃の事柄に思い至った。

・・・ってか、この記事書いてて、自分の言語化能力が確実に落ちてることに気が付いてビックリ!

もやもや~んと出てきた感覚を前はもっと(自分の中では)的確と思える単語に置き換えられてたと思うんだけど、今書いててもやもや~んはもやもや~んのままでしかなくって、そこに今驚いた。

 

そいや作中の中でも出てきた(と思う)けど、一般的な常識や思考回路が通らない被疑者の行動はもうそのまま調書に記載するしかないのに、それに一般の人々が理解できるような理由やら殺意やらを埋め込むのは土台無理な話なんだろうけど、それを良しとしない司法の枠がなんともいびつだった。

作中での井上は殺害を行ったことに対して常に「何となく」とか「イラっとして」とか「覚えてない」って言ってるキャラとして描かれてるけど、たぶんその「何となく」の下にあるものをもっと的確に説明できるようだったら最初から犯罪者になんてなってなかったろうなと思う。作中でも井上がそんなことを言ってるシーンがあったような気がする。

小説の本筋からは逸れるけど、ワタクシ最近感情や本音の蓋を取ることをしてるんですが、一度蓋することに慣れると、そこに蓋があることすら自覚出来ないし、その下にもなかなか潜れない気がする。ある程度慣れてくると所謂深層意識に近づいて行けると思うけど。それを拘留期間中に出来るようになるとは思えないし、出来るようだったらそもそも犯罪起こしてないだろ。それは井上や戸田だけじゃなくて、もっと多くの人にも言えるんじゃないかと思う。別に犯罪起こしてる起こしてない限らず。みんないろいろ蓋し過ぎじゃないのかな?(「デス妻」なんて特にそうだよねー)

 

おっそろしいくらい言語化能力が落ちてるので、うまく説明できない。

とりあえず、時間があったら過去の高村作品をもう一度読み直したいと思いました。

 

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カテゴリー: 雑記

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