小さな無数の分岐点

 

ブログでゲームの話を書くようになってから、リアル友達と会ってる時に「あ、ゲームの通知着てる。ゲームのイベ公演、5分だけやらせて!」みたいなことが言えるようになりました。

これ言える&出来るようになってけっこうストレス減りましたねー。

友人と遊びに行くのも楽しいけど、ゲームのイベも大事というか気になるからねぇ。

 

私は数年前は、人と会ってる時に緊急の電話でもないのにスマホチェックとかどーなのよ!?みたいな価値観を支持してたんですよ。そういうルール(価値観)を採用していたって感じ?

だから友人と出かけてる時にスマホで何か別のことしだすのは「失礼なこと」と思ってたんよ。

あ、でもインスタグラムは上げてたかも?どうだったろう?

 

私が以前の価値観のままだったら、友人と会ってる時はゲームのイベはすべてあきらめなきゃならなかったと思うんよ。

私の中で、ゲームのイベは「楽しみ」なので、「楽しみ」をあきらめなければならないってことになると思うんよ。

ここで一つ分岐点があるんですが、

・何も言わずに楽しみをあきらめる

・自分の「楽しみ(ここではゲーム)」をやりたいんだけどって相手に聞いてみる

・・・かな?他にも選択肢はあるかもしれませんが。

 

最初の選択肢は、「自分が我慢すればいい」って思考パターン(というか現実?)をより強化させる気がします。今出てきてる現実は過去の思考の結果だから

で、次の選択肢の場合、「人と会ってる時にスマホで別の事しだすのは失礼」って価値観を持ったままだと、言うのにめっちゃ勇気居ると思います。

手放しちゃってれば(持ってなければ)わりと簡単に言えると思うけど。「何も言わずにゲーム始める」って選択肢も出てくると思う

はい!ここで「ほんとはどうしたいの?」と問いかけるわけですよ。

 

「自分が我慢すればいい」を選択した場合、より辛いような状況が次々と起こる気がするんよねー。ここでの状況に限らずね。それ書いてると話長くなるので、ここでは書略します。

次に、心の中で「やっぱりゲームしたい」を選んだ場合。

・ふらりと5分くらい一人になってゲームしてきちゃう(「ちょっとトイレ行ってくるね!」とか言って)

・「5分だけゲームやりたいんだけど?いいかな?」と相手に伝える

みたいな選択肢が出てくるかと思います。

「ふらりと一人になって・・・」は、相手に率直に言うには勇気が足りないけどゲームはしたい!って時、折衷案になるかな?

 

「ゲームやりたいんだけど?」って率直に言ってみた場合、

・相手は「えっ・・・」ってちょっと否定的なリアクションを取る、もしくは嫌がる

・相手は肯定的なリアクションを取る(「私もfacebook 見たかったんだ」とか、「あのお店(自分は全く興味持てなさそうなお店だけど相手にとっては好みな感じ)、気になってたから見てくるねー♪」って感じ?)

こんな感じで否定的なリアクションか、肯定的なリアクションがくるかな?他にもあるかもだけど。

 

で、否定的なリアクションが来た場合も、

・まあしょうがないか、とさっくり諦める

・とりあえずその場は諦めるけど、「トイレ行ってくる」とか言って一時的に一人になってやっぱりゲームする

などなど、次の選択肢は出てくると思うんですよ。

 

さらに、「諦める」を選んだ場合でも

・「ゲームのイベがあるときは、この人との用事は入れないようにしよう」と次の対策を練る

・「たかだか5分ゲームするくらいいいじゃない!」と内心で怒る

・・・って感じで、自分の中でリアクションが出ると思います。反応の種類は他にもあると思うけど。

 

で、これらって文章で書くとちょっと長くなるけど、たぶん現実では1分以内に終わる出来事だと思うんよ。

それと日々ルーティンにしてると、そこに選択肢があることに気がつかなかったり。いつも自分の楽しみを諦めてる人は、相手に「5分だけゲームしていい?って聞く」って選択肢は浮かんでこないかもしれないしねー。

 

「ほんとうはどうしたいの?」って自分に問いかけるのは、このルーティンになってる思考パターンに気が付こう!ってことだと思うんすよ。

「気が付いて、改めて選択する」をやってるうちに相手のリアクションは変わってきたりします。「相手」ってのは同じ相手ってことではなく、言う対象って意味合いですね。

てか、その前に相手に伝える必要がある場合、自分の言い方が変わってくるんだけどね(言う時に乗るエネルギーが変わってくるから)。

 

 

コメントを残す